週末、子どものスパイクを買い替えるとき——「アディダスとナイキとプーマ、結局どこが違うの?」と迷ったことはありませんか。機能で選ぶのが基本(ソール記号・幅・アッパー。くわしくはスパイク選びガイドへ)ですが、それぞれのブランドには“思想”があります。そしてその思想は、100年前のドイツの小さな町で起きたひとつの兄弟げんかにまでさかのぼるのです。
この連載「サッカー歴史探究」は、CHRONICA(クロニカ)と全国ジュニアサッカーHUBの共同企画。サッカーとスポーツを「歴史」から深掘りして、観戦と応援、そして道具えらびを、もっと面白くしていきます。第1回は、親子にいちばん身近な道具——スパイクの物語です。
1足の靴から始まった ― ダスラー兄弟の工房
舞台はドイツ・バイエルン州の小さな町、ヘルツォーゲンアウラッハ。1920年代、ここでアドルフ(アディ)・ダスラーと兄ルドルフ・ダスラーが、母の洗濯場を工房にして運動靴を作り始めました。弟アディは職人肌の“ものづくりの人”、兄ルドルフは“売る人”。二人はうまく噛み合い、「ダスラー兄弟商会」は陸上・サッカー用のスパイクで評判を集めていきます。
転機は1936年のベルリン・オリンピック。アメリカの陸上選手ジェシー・オーエンスが、ダスラー兄弟の作ったスパイクを履いて4つの金メダルを獲得しました。トップ選手が自分たちの靴で勝つ——スポーツ用品を“性能で売る”という、今では当たり前のビジネスの原型が、ここで生まれます。
分裂 ― 「アディダス」と「プーマ」、町が二つに割れた日
ところが第二次世界大戦を挟み、仲の良かった兄弟の関係は決定的に壊れます。原因は諸説あり、今となっては本人たちにしか分かりません。確かなのは、1948年に二人が袂を分かったという事実です。
- 弟アディは自分の会社を興します。名前は自分のあだ名(Adi)と名字(Dassler)から、adidas(アディダス)。あの3本線(スリーストライプ)のブランドです。
- 兄ルドルフも別の会社を設立。やがてPUMA(プーマ)と名づけます。
さらに劇的なのは、町そのものが二つに割れたこと。川を挟んで片側がアディダス、もう片側がプーマの工場と従業員で分かれ、人々は相手がどちらの靴を履いているかを確かめてから挨拶をした、と言われます。ヘルツォーゲンアウラッハは後に「首を曲げる町(=足元を見る町)」とまで呼ばれました。1足の靴をめぐる兄弟の確執が、世界的な2大ブランドと、一つの町の分断を生んだのです。
技術が勝敗を分けた ― 1954年「ベルンの奇跡」
ブランドの物語は、やがてサッカーの歴史そのものと交わります。1954年ワールドカップ・スイス大会の決勝、西ドイツ対ハンガリー。当時のハンガリーは“マジック・マジャール”と呼ばれた無敵のチームで、下馬評は圧倒的不利でした。
決勝の日、ピッチは雨でぬかるんでいました。ここでアディ・ダスラー(西ドイツ代表の用具担当でもありました)の技術が活きます。スタッド(ポイント)を状況に合わせて付け替えられる“取り替え式”スパイク。ぬかるみに合わせて長いスタッドに替えた西ドイツは、終盤まで足元が安定し、2点ビハインドから逆転。3-2で初優勝を果たします。のちに「ベルンの奇跡」と呼ばれるこの一戦は、戦後ドイツの復興の象徴であると同時に、スパイクの技術が勝敗を左右したことを世界に見せつけました。
いま私たちが当たり前に選んでいる「HG(土)/AG(人工芝)/取り替え式…」というソールの選択肢は、こうした歴史の延長線上にあります。
3強時代へ ― 後発ナイキの逆転劇
長くサッカーのスパイクは、アディダスとプーマの2強でした。そこへ割って入ったのが、アメリカ生まれのナイキです。
ナイキのルーツは、陸上コーチのビル・バウワーマンと教え子のフィル・ナイトが1964年に始めた輸入販売。1971年に自社ブランド「ナイキ」となり、バウワーマンがワッフル焼き器からヒントを得たという“ワッフルソール”で陸上・ランニング市場を席巻します。サッカーでは完全な後発でしたが、圧倒的なマーケティングとスター選手の起用で1990年代に一気に存在感を高め、ついに“ドイツの2強”に並ぶ3強の一角へ。いまのスパイク売り場に3ブランドが並ぶ風景は、こうしてできあがりました。
だから、スパイク選びは面白い
- アディダス=“取り替え式スタッド”に象徴される、機能と伝統のブランド。
- プーマ=兄の系譜。独自のフィット感とデザインで根強いファン。
- ナイキ=後発ゆえの革新とスター戦略。
もちろん、お子さんに合うのはブランドの物語ではなく、足に合うかどうかです。ソール記号(HG/AG/TF…)・幅・アッパーで選ぶのが基本。そのうえで「このブランドにはこんな歴史があるんだよ」と一言そえれば、同じ買い物が親子の会話になります。
もっと深く(CHRONICAで読む)
この100年の全貌は、CHRONICAの連載で物語として読めます。
連載「サッカー歴史探究」この先の予定
CHRONICA×全国ジュニアサッカーHUBの共同連載。次回以降はこんなテーマを予定しています。
- 第2回:ワールドカップはなぜ“世界最大”になったのか(→ W杯 覇権の世界史)
- 第3回:日本代表100年 ― ここまで来た道のり(→ 日本サッカー 世界への100年)
- 第4回:Jリーグ誕生 ― 日本サッカーを変えた革命(→ Jリーグ30年の軌跡)
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